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親と幼児の関係に関する理論

家族という絆

D,W,ウィニコットの1960年の論文「親と幼児の関係に関する理論」についての要約です。環境としての母親やホールディングが述べられています。

本論文は情緒発達の精神分析理論―自我の芽ばえと母なるもの (現代精神分析双書第II期)に収録されています。

1.論文の背景

1961年にエディンバラで開かれた国際精神分析学会において、Phyllis Greenacre(ニューヨークの女性精神分析家)とともに行われた討論がもとになっている

2.ウィ二コットの精神分析臨床より

精神分析では個人の万能感を越える外傷体験はおこらない。あらゆるものは自我統制のもとに収束され、二次過程(現実原則)とつながりをもってくる。精神分析での変化は、外傷的諸要因が患者の万能感の範囲内で素材のなかにはいり込んできたときにおこり、それにたいして投影という観点から解釈がなされる。

幼児期では、幼児の力の及ぶ範囲を越えて良いこと悪いことは起こる。幼児期というのは幼児が外界の諸因子を集約して万能感の領域内にもち込む能力の形成される過程である。自我を支える母親の育児に助けられて可能になる。

患者が投影として受け容れることができるようなかたちで環境因子を提示できるようになるのは、精神分析家と職業的場面のもつ信頼性のなかで患者が自信をもつ能力を再発見したあとのことである。そのような古典的な精神分析に運わるくも適しない症例では、患者は幼児期の母親による育児のなかで体験できなかった信頼性を、精神分析家の態度のなかにはじめて見出さなければならない。

幼児の環境で良かったことや悪かったことは実は投影ではない。にもかかわらず、幼児が健康に発達するためにはすべてのことが幼児には投影のように映ることが必要である。幼児期最早期には万能感と一次過程が働いている。そして、本当の自分でないもの(Not Me)の認識は知能の問題、つまり高度な知的加工(Sophistication)と個人の成熟に属する問題である。

フロイトの1911年の論文「心的生起の二原理に関する定式」の脚注において、フロイトは母親による育児の機能に注目してはいるがこの問題を放置した。幼児と育児とは一緒になってひとつの単位を形成している。

3.幼児(Infant)という言葉

幼児という言葉には話さない(Infans)という意味がある。幼児期は言語的表現の理解にもとづいてなされる育児よりも、母性的共感にもとづいてなされる育児の時期である。

幼児期は本質的には自我の発達する時期である。情緒発達過程のなかで一般に自我はイドを統制下におくことができるようになる。それは母親が幼児の自我を補強して力強く安定したものとするからである。

4.歴史的展望

フロイトは自己の独立と自我の構造化、独自の身体図式を前提としている。本論文の論点はこうした事態が達成される過程に、つまり本能欲動や対象喪失から生じる不安の基盤となる自我の構造が達成される過程にある。この人生早期の不安は去勢不安でも分離不安でもなく破滅の不安(Anxiety about Annihilation)である。

クラインは完全な依存(Full Dependence)のテーマを発展させなかった。ここで考察しようとしていることは、精神分析家が依存という現実を受け容れることと、転移のなかでそれを操作することの違いである。

5.幼児

幼児の生得的な潜在力は母親による育児と結びついたものとならない限り、幼児そのものにはならない。

(1)生得的な潜在力とその運命

両親による満足な育児には三段階ある。

a.抱っこ

抱っこ(Holding)は環境から与えられるすべての供給を意味している。時間的要因が漸次加わってくる三次元または空間的関係といえる。純粋に生理学的なもののようにみえる諸過程を含む。

b.共に生きる

母親と幼児とが互いに独立した存在として共に生きる(Living with)。母親に代わって環境調整をする父親の機能は幼児に認識されていない。

対象関係はできている。つまり幼児は母親に吸収された状態から離脱しているか対象(母親)を自己の外側のものとして知覚している。

c.三者関係

父親、母親、幼児の三者がともに生きる。

(2)抱っこの時期における幼児の情緒発達

一次過程、原初的同一化、自体愛、一次的ナルシシズムは生きた現実である。

自我は未統合な状態から構造化された統合へと変革をとげ、幼児は人格解体に伴う不安を体験できるようになる。単位状態と呼べるようなものに達し、幼児はひとりの人間、正当な自らの権利を持った個人となる。

精神が身体に住みつく。幼児は内側と外側を、つまり自身の身体図式を持つまでになる。内的な心的現実を仮定することが意味を持つ。この時期になってようやくクラインの仕事が適用できるようになる。

知的活動の夜明け、精神とは違ったものとしての心がはじまる。衝動の二つの根源が結びつきはじめる。運動や筋肉エロティズムに属するバラバラの要素が融合(Fusion)して性愛帯のお祭り的機能にまとまる。

主観的な対象との関係から客観的に知覚される対象との関係に移行する。母親との合体から独立へと至る。言い換えると、抱っこから共に生きるへの変化である。

(3)依存

a.絶対的依存

幼児は母親の育児について知る手立てさえもたない受け身的立場である。

b.相対的依存

幼児は育児でどんなことをしてもらいたいかを自分で知るようになり、それを独自の衝動と結びつけるようになる。これは転移のなかに再現される。

c.独立への方向

育児の記憶や独自の欲求の投影や育児の詳細のとり入れが積み重ねられ、環境に対する自信が発達する。深い含蓄を持った人格の知的理解も発達する。

(4)個の分立

中心的または本当の自己とは、存在の連続性(Continuity of Being)を体験し、独自のやり方と早さとで独自の心的現実と独自の身体図式を獲得した生得的な潜在力である。

中心的自己の分立(Isolation)を妨げる侵害(Impingement)、つまり母親の側の、育児での失敗に関連して幼児期再早期の諸防衛があらわれる。自我機構によって、侵害してきたものは幼児の万能感に集約され投影として感じられるようになる。これは偽りの自己を組織することもある。侵害が防衛を切り抜けた場合、自我の中核はゆすぶられることとなる。これが精神病的不安の本質である。

(5)破滅

反応することは存在を中断し破滅を招く。抱っこという環境の主な目的は、幼児に反応をひきおこしてその独自の存在を破滅へと導く侵害を最小限に抑えることである。適切な条件のもとでは幼児は連続ある存在を確立し知的加工(Sophisitication)を発達させる。それによって幼児は侵害してきたものを万能感の領域に集約させることができる。

6.母親による育児の役割

(1)信頼性の芽生え

生理的欲求の満足を与えること。身体と精神の分化はなされていないかその過程にある。そして、たよりになること(信頼性)である。母親の共感が秘められた供給のなかに信頼性が芽生える。

(2)抱っこ

抱っこは物理的侵害からの防護、母親が幼児に愛情を示してやれる唯ひとつの方法、本能満足や対象関係の基礎となる。

精神病(精神分裂病)になりそうにないという意味での個人の精神的健康は、出生前の身体的供給との連続である母親の育児がその基盤になっている。環境からの供給の失敗は悪影響を及ぼす。

これは、転移のなかにあらわれることはない。

(3)母親の育児のある細部の検討

共感にもとづいてなされる幼児の欲求に対する母親の理解と、幼児や小さな子どものなかの欲求をあらわすあるものにもとづいてなされる母親の理解への転換のあいだには、非常に微妙なちがいがある。

7.母親のなかでおこる変化

母親は幼児との投影同一化を通じて幼児の感じるものを知り、抱っこのときや環境からの供給のときに幼児の求めたものをかなり的確に与えることができる。幼児の欲求に対する生きた適応といえるだろう。

8.議論

自我心理学の論客とおこなわれた討論がもとになったという経緯もあったせいか、これまでの精神分析の展開をいつも以上に見据えながら自身の考えを明らかにしているようである。

ウィニコットは出生以前からの連続において人間を捉えている。生得的な潜在力といういわゆる人間になる以前のものも含まれているのだろう。

依存という現実を受け容れることと転移のなかでそれを操作することとは違うのだろう。実際の臨床場面での取り扱いは、ホールディングと解釈という介入方法の違いとなってあらわれるだろう。

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